走りながら振りかえりときどき俯瞰する
はじめに
リードテックラボ番外編です。こちらの本を読んだので感想を書きたいと思います。つらつらと。なお、7月のLi:te techは「しょひょう」をキーワードに活動しています*1。
よんだ本
江上敏哲 「本棚の中のニッポン」 笠間書院 2012
つくば市の某書店で入手
ファーストインプレッション
「日本という国から一度も出たことのない自分」からすると、「こんな世界があるのか!」とただただ目から鱗。世界を認識するための視点が一個増えた、そんな読後感でした。
メインストリームにつながれ、そして、知はつながり育むもの*2。自分の苦手だなあ、なんとかしたいなあ、と思っていることが書いてあって、やっぱりそうなんだよなあ、と納得した次第。
読みながら思ったこと
連想したものこと
最後に、本書をよみながら連想したあれこれを抜き出しておしまいにしたいと思います。
海外の日本研究・日本図書館について多くの方に関心と知識を持っていただくこと。その結果として、さまざまな場面での日本資料・日本情報の効率的・効果的な提供・発信に、ご理解とご協力をいただくこと。<中略>より多くの方に“援軍”となっていただくきっかけとなれば幸いです。
本書 p.14
海外で日本について研究している人たちがいるということ。自分はそんなこと考えたこともなかったのですが、単純にそういう人たちがいるんだというその事実とその事実の重み。
共感は、球根の数を増やしたり、花開いたメディアから種子をまき散らすことで、人々のあいだに自他の境界を超えた生き生きとした経験の流れを生み出す。
著者のメッセージをそれぞれ受け取った人たちがそれぞれの現場で何ができるか。一冊の本を触媒として広がっていく「なにか」を想像しました。
ていうか、そもそも、みんなどんなメッセージを受け取ったのでしょう。
有効で効果的な情報発信に本当に必要なのは、相手を知り、資料・情報を知り、その現状やとりまく環境の全体像を把握する。情報発信という行為を単体ではなくトータルでとらえる、ということではないでしょうか。
本書 p.260
自分、そして伝える人がいて、伝える方法があって。それよりなにより伝えたい「なにか」があって。でも、そんなコミュニケーションを構成する要素がときどき抜けてしまう、ということ。
欠如モデル
科学の公衆理解(PUS)に関するモデルで、専門家と非専門家とを固定的に対置し、科学知識が前者から後者へと一方公的に流れ、後者はそれをただ受け取るだけ、ととらえるもの。
文脈は違いますが、似てる関係だよなー、とふと連想しました。
さいごに
今回のエントリーのタイトルはなんとなく本書から受けたイメージを言葉にしてみました。特に意味はありません。